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こんにちは。自分のことをしゃべるのは気恥ずかしい気がします。
でも、このページを見てくれた人はどんなやつがこれを管理しているのだろうと思っているはずですから、少しお話します。しばらくお付き合い下さい。

生まれは、大分県別府市です。生まれただけですが小さいときから大分に結構行っていて、自分では九州男児ということにしています。本物の九州男児に怒られそうですが。小さいころはアメリカのアイゼンハワー大統領に似ていたそうでアイクと呼ばれていたそうです。
父の仕事の関係から京都、九州、大阪で幼年時代を過ごしました。ガキ大将だったようで、けっこう多くの子供たちを率いて近くの沼や川で危険な遊びをしていたようでした。腕白だったそうで夏休みに良く遊びに行った鳥取の街では夏になると行くので、いやがられ恐れられていたそうです。

 

新北野中学、北野高校と十三の歓楽街を通って通いました。そして大学は関西医大。関西医大の教養部は牧野にあってのどかでした。学校の前にあったステーキのすえひろへは勉強をさぼって良く行きました。

中学くらいから外国への憧れが強く一時は世界中の40人位の同年代の人と文通をしていました。中にはカナダの女優さんなどもいて楽しく文通しましたが、余りにも相手が増えて疲れてやめました。

大学1年生の時にかねてからあこがれていたアメリカ短期留学。バーモント州のセントマイケルズ大学で1ヶ月勉強しました。のどかなところで寮生活を楽しみました。その後アメリカをグレイハウンドバスでホームステイしながら横断しました。当時は良い時代で、3日づつ泊まる各家庭は大歓迎してくれました。医師、弁護士そして離婚家庭までありましたが、ずっとしゃべりづめでした。

そして、大学2年の時に2ヶ月間の欧州放浪の旅を経験しました。北はアムステルダムから南はスペイン,イタリアまでの自由な旅でした。列車に乗ってきれいな村で降りる。そして宿を探して入る。夕食は村の酒場です。労働を終えた住民との交流はいい思い出となりました。スペインのバルセロナでは一泊3食つきで500円でした。その時はベッドが傾いており、食事は宿の主人の子供たちと一緒でした。オーストリアのインスブルックで食べたウインナーシュニッツェルはうまかったなぁ。

親父が産婦人科医であったことから自動的に産婦人科を選択しましたが、今になって見るとこれほどやりがいのある仕事はないと思います。親父は数年前に死にましたが腕のいい医者で、いつも待合室の外まで患者さんの行列ができるほどでした。関西医大産婦人科では初年度は毎日当直でした。関西医大では上下の関係が緊密で、当直時には先輩は必ず後輩におごるシステムでした。いつも食事時が楽しみでした。同じ釜の飯を食った先輩、仲間とは楽しい時間を過ごしました。

そんなこんなで医者になってうん十年。早いものです。数年前に漫才師のハイヒール・モモコさんのお産を担当しました。モモコさんは画面で見るよりずっとまじめで何事にも純粋で真剣な方です。夫君の小林さんと共に久しぶりに39時間の長時間出産を体験しました。とても胎教熱心なお父さんのおかげで子どもの仁一郎君はとても魅力的な子どもになりました。皆さんも応援してあげて下さい。

今は、神戸市六甲アイランドに住んでいます。あの東灘区です。大震災の時は大部分寝ていました。嫁はんに「折角の貴重な体験なのにもっと早くお起さんか」と言ってひんしゅくを買いました。ガス漏れの中を16時間かかって大阪に脱出。すれ違いに入ってくる他府県の救急車、自衛隊の方々たのもしくかっこよかったです。

趣味といえるほどのものはないが、典型的O型人間よろしく幅広く手を付けています。スポーツならゴルフ、スキー、スケート、スキューバ(ちょっとだけ)。小さいときからバイオリンをやっていたのですが譜面も読めず、「奏でると(?)」娘がライオンの鳴き声だといいます。失礼な!
読書は結構好きで歴史小説から心理学の本まで数冊を平行して読んでいます。井上靖と城山三郎はおもしろかった。

映画を見るのも好きです。涙腺が緩いので恥ずかしく大抵一人で行きます。ジャンルとしては、ロマンティックなものが好きです。「タイタニック」は二度見ました。

2000年からは写真撮影を始めました。ある日ふとどうしても始めなければならないという衝動が沸いてきて突然始めました。被写体は富士山です。富士山は特殊な山です。たいてい明け方、夕日をとります。一人で行くのは怖いので(暗いときの富士五湖周辺はけっこう不気味)よめはんに一緒に行ってもらいます。新富士まで新幹線で行ってそこから日産レンタカーを借りて北上します。頻回には行けないので最近は奈良,京都など近場でも撮影しますが思いがけず良い被写体に出食わして大喜びすることもあります。

最近は、あちこち招かれて講演に行ったり本を書いたりしています。IVF大阪クリニックでは診療の傍ら気功を教えたりもしています。 だんだん医師から著述家、そして気功師になっていますが写真家になりたいこの頃です。

 


●本.CD.VIDEO ●履歴


合い言葉「心と身体を緩めて赤ちゃんを創ろう」

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