_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

私たちの不妊・出産物語

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


【登場人物】 Toshio(34歳)
       Yuki(30歳)
       びんちゃん(我が家のお宝息子)


Chapter 1 病院へ行くまで(1)

「知らぬが仏」の時代

YukiToshioが結婚したのは、26と30の時です。
平均結婚年齢…、いわゆる適齢期にごくフツーに出会い、結婚して、ごくフツーに「子供は2人か3人、年をとったら仲良くふたりで縁側でコブ茶をすすろう…。」という、ささやかな将来設計のもと、ふたりで生活を始めました。

結婚式のスピーチで「望みは遥かに、実行は足元から」という言葉を贈られたふたりは、それをヒントに「子供の名前はのぞみ・ひかり・こだまにしよう」などと話しては喜んでいました。遠距離恋愛で電話代と新幹線代のために働いていたので、とにかく幸せいっぱい、花いっぱいの毎日で、ふたりのために世界はまわる…日々でした。



Chapter 2 病院へ行くまで(2)

「あれれ、Hをしてもできないョ」

しばらくして転勤となり、Yukiの仕事も一段落したので「そろそろ子供を…」と思い始め、せっせと基礎体温を測り、せっせとHをして、生理が遅れるとイソイソと妊娠判定薬を買いに行き、生理が来るとアレレ…とガックリする生活に入りました。

避妊しなければ子供はできるハズ…と、お気楽に思っていたふたりは、だんだんおかしいなと思いつつ、律儀に(?)基礎体温表とにらめっこして自分たちなりに排卵日を考えて、子作りをしていました(約2年間)。この間は子宝の温泉や子授けのお寺を巡って、表面はDINKSを装いつつ内心はあせりながら日を送りました。

周囲の「子供はまだ…?」という声が気になりだしたのも、この頃です。
「うちはまだいいの」と言いつつ、子供が欲しいふたりは「いつ、どこの病院へ行くか…」という迷いや不安がわいてきました。お互い「大丈夫だよ!」と言い合いながら、こういうことをオープンに相談できる人や勇気がなかなか持てなかったのも確かです。

また、Yukiは子供ができたら…と、思うと積極的に仕事もできず、かといって子供のできない中途半端な状況で、仕事に全力投球している後輩や子育てに忙しい友人の狭間で宙ぶらりんで、よくToshioに文句を言っていました。とは言え、漠然とした不安におびえつつも、まだ、もしかして…という希望を捨てることができない毎日でした。



Chapter 3 体外授精をうけるまで

「エッ? 試験管ベビー?!」

いよいよ2年過ぎ、妊娠する気配がないので重い腰を上げて、病院へ行きました。いろいろな検査の結果、Yukiの卵管が造影剤が入らないほどの閉塞で、自然妊娠は100%ムリということが分かりました。

Yuki

「卵管造影の検査をした日のことは、今でもはっきりと覚えています。森本先生に『ここは体外授精もできるから大丈夫。』と言われたにもかかわらず、私は自分が妊娠できないと100%思ってしまったのです。体外授精と言われても、それは新聞や週刊誌の世界で、自分には全く関係のないことだったし、まさか自分がそんなことをすることになるとは、ツユにも思っていなかったからです。

病院からの帰り道、バスを待っている間、人目も気にせず泣きました。そして、子供が大好きな主人を思い、もうToshioと別れようと、そのまま実家へ帰ったのです。『私と一緒にいると、一生子供ができない。それなら、今のうちに別れてしまった方がToshioのためだ…』と(それでいて冷静に、自分の預金通帳だけは取りに帰って、ダンナにしっかりしている! と言われましたが…)。幸い、ダンナはその日のうちに連れ帰りに来てくれました。

それでも、公園の家族連れを見ると『自分には一生、ああいう家族ができないんだ…』と思って泣いてばかりいました。」

Toshio
「家に帰ってみたら、Yukiと預金通帳がないんですョ。通帳はともかく、Yukiは何か訳の分からんことを言っているんで、あわてて森本先生の所へ聞きに行くと、『体外授精すれば妊娠できる。ここは体外授精もしているから挑戦してみるように』とおっしゃる。実際にこの病院では何人もしているので、何だ体外授精をすればいいのか…」と思った訳です。

『体外授精してまで…』と言う人もいますが、普通の病気の時には『これをすれば治る』と言う最新の薬や治療があれば、迷わずそれを使う訳ですから、体外授精がいいと分かれば、それに挑戦してみよう…と、素直に思った訳です。」

その後、今まで考えもしなかった体外授精についてふたりで本を読んだり、調べたり話を聞いたりしました。そして、2ヶ月後に体外授精の予約をして、ドキドキ待っていました。ただ、お気楽者のYukiToshioは、相変わらずマイペースで『ふたりで行ける最後の旅行』と称して、泊まりに行ったり遊びに行ったりもしました。



Chapter 4 1回目の体外授精

「人生、そんなに甘くない!」

1回目の体外授精では片方しか卵巣がないにもかかわらず、何とか7個の卵が採卵できたYukiでしたが、Toshioの体調がイマイチで卵殻膜を破れず、受精卵はできませんでした。体外授精をすれば受精卵は当然できて、簡単に妊娠するような気持ちになっていたふたりでしたから、胚移植できないという結果を聞いた時、「こりゃ大変だ。どないしょう」とボー然とした訳です。でも今回はふたりとも、色々なデータを教えて頂いていたので、立ち直りも早く、ガッカリしつつも、2回目に挑戦することにしました。

と言うのも、病院で親しくなった人達は、みんな2〜3回している経験者が「1回ぐらいで落ち込んでいたらダメだよ。どんどん積極的に挑戦しなくちゃ」と、色々な体験を話してくれたからです。

ちょうどその頃、森本先生の気功やストレッチ教室を知り、身体を動かすのが大好きなふたりは、さっそく入会して週1回、病院で開かれるその教室へ行くのを楽しみにするようになりました。YukiだけでなくToshioも状態が良くないことが分かったのですが、ふたりは、「あきらめず、期待しすぎず、やれることはとにかく何でも挑戦してみよう」と、前向きに治療に励むことができたのが一番の収穫でした。

また、気功やストレッチのおかげで、いつも飲んでいた生理痛の薬が全くいらなくなり、体調も良くなりました。「とにかく、10年がんばってみよう。子供が与えられなかったら、結婚10年目にはスィートテン・ダイヤモンドの代わりに、スィートワンと言うことで犬を飼って我が家の子供にしよう」と、笑ったのもこの頃です。

身近な人の出産や妊娠も心から喜ぶことができ、Yukiも思いがけない仕事が見つかり、ふたりとも毎日忙しく仕事に病院、気功と元気に暮らしていました。



Chapter 5 2回目の体外授精

「顕微授精に挑戦」

そうこうする内に、2回目の体外授精の周期がやってきました。仕事や体調の都合で、1回目から半年が経っていました。1回目と違ってプロセスはだいたい分かっていたので、ふたりとも余裕を持って準備ができたのも事実です。生理3日目から排卵まで、HMGなどの注射を毎日打つのも、1回目は痛い痛いと言っていたYukiでしたが、「よく、もむといいのョ」なんて、初めての人に教えたり、排卵日が近い人と一緒に喫茶店に行って楽しんだりしていました。

排卵は8個。「また授精しなかったら、ちょっと大変だね。」(Toshio)という会話をしていましたが、たった1個だけれど、質の良い受精卵が戻せ、「大進歩、大進歩!! 一日一歩、三日で三歩!?」と喜んで、妊娠判定日を迎えました。ふつう、受精卵は2〜3個戻せる場合が多いので、「妊娠してたらいいね。」(Yuki)「あかんかったら、う〜んとおいしいご飯を食べに行こうね。」(Toshio)という期待で、結果を待ちました。

同じ日に採卵した友人が先に診察室に呼ばれ、なかなか出てこないので「Kさん、うまくいったみたいだね。」などと話していると、「+(プラス、妊娠判定)が出ているよ!」と看護婦さんに教えられ、ビックリ。

「まさか! でもホント? うれしい。」と、思わず涙がポロポロ。自然妊娠は100%ムリと言われて以来、人前で泣いたのは、これが2度目。「よかったね。」と言ってくれる看護婦さん達に、また涙。その日の内に入院となりましたが、「えっ? ホント、これは夢?」と、現実が信じられないふたりでした。



Chapter 6 妊娠10カ月

あこがれのつわりに胎動、びんちゃんガンバレ

妊娠が分かった日から入院となったので、ふたりはさっそくお腹の赤ちゃんに“びんちゃん”と名前を付け、毎日声をかけていました。このびんちゃん、なかなか活発で、お腹の形が変わるほど胎動がすごく、「ちょっと、動くの待って!」と言ってしまうほど。どんどん大きくなるお腹を眺めて、「ホントに妊娠したんだね。」と実感し、超音波のビデオや写真を飽きずに何度も何度も眺め、4冊も名付けの本を買って名前を考えました。

つわりに腰痛など、妊娠にまつわるトラブルも「これがあこがれの妊娠だ!」と思えば、「いたた」と言いつつ、何でもうれしくなってしまうのだから、不妊経験によって成長したものは、とても大きいように思います。今まで横目でうらやまし気に見ていたベビー売り場に行って、小さな服や靴下を手にとって「びんちゃん用」にと、買い込んでニコニコしているふたりでした。



Chapter 7 出産。そして、その後

こんにちは赤ちゃん。よくぞ我が家へ

骨盤が狭いYukiに加えて、びんちゃんが小さ目ということもあって、帝王切開になるかも…と、思われていましたが、無事普通分娩で、それもToshioも立ち会いができ、びんちゃんが生まれてきました。

Toshio

「生まれた時は感動と言うより、むしろ神秘的な気持ちで、よくぞ僕らのところへやってきてくれた…という気持ちになりました。」
Yuki
「さすがに陣痛は痛かったけれど、これがあのあこがれの陣痛かと思えば、それに、あの不妊の時の心の痛みに比べたら、あと何時間で必ず終わると分かっている身体の痛みは、何とかなるもんですね。」
入院中、ずっと新生児室にビデオと写真を撮りに行って、びんちゃんが手を動かせば「バイバイした」、「びんちゃんと呼んだら返事した」と、親バカ一直線のふたりです。

親バカついでに、1カ月でひとりで哺乳ビンを持って、2カ月であやすと笑い、首がしっかり座る「天才BABY」とふたりは誰が何と言おうと(?)思っていました。夜泣き(めったにしないけれど)も、たそがれ泣きも何でも、手に掛かることでも、子供が我が家に来てくれたと思えば、「ありがたく」思えてくるのですから、人間、七転び八起き。何でもできるのだから不思議です。あれ程あこがれだった、ふたりで動物園に行く日ももうすぐです。

今、実際、子供を手にして、あの小さな四分割の受精卵が、よくぞここまで大きくなってくれた…と思わずにはいられません。体外授精や現代の医学がなければ、私達は100%子供が与えられなかったと思うと、感謝の気持ちで一杯です。

Yuki
「子供ができないという悩みのまっただ中にある時は、『どうして私達だけが…』と思い、『大丈夫、きっと子供ができるョ』という言葉や未来を信じることができにくいことも確かです。でも、(結果はともかく)苦しまずに子供ができた人が、子供を育てていく時にふたりで力を合わせるように、不妊治療をすることによって(たとえ子供を与えられなくとも)子供を育てていく時に経験するのと同じくらいの悲しみや喜びをふたりで経験し、力を合わせることを学ぶのではないかと思うのです。悲しみ、悩み、苦しみ…、不妊治療に伴う心の悩みは、言葉では言い尽くせないものがありますが、それでもなおかつ、前向きに明るく努力して行かなくてはいけないことや、信じること、あきらめないことが一番大切なんじゃないかなと思います。」
Toshio
「昨年の今頃は、妊娠は夢のまた夢のように思っていたのに、こうして3人で暮らしているなんて不思議です。これから子供育てていくには、ハラハラしたり、心配したり、コイツ!と怒ったりする日も必ずやって来ると思いますが、3人で力を合わせて頑張っていきたいと思います。」


[赤ちゃんを創ろう] [不妊体験記] [最初の行]