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(「遅咲きのママ」からの手紙)


結婚して初めの1年は、まださほど子供が早く欲しいと思わず、呑気にしていたが、1年が過ぎて、もうそろそろと思っても、なかなか妊娠しない。

私は学生時代から生理痛が重く、毎月初日がとても辛く、市販の薬もあまり効かないので、とりあえず薬をもらいがてら不妊治療をしようと近所の産婦人科に通い始めた。お産専門の病院のため、不妊治療とはいっても基礎体温に頼って先生が排卵日を予測して、その後、受精卵の着床を助けるHCGという注射をするだけで、何カ月か過ぎ、その間、卵管造影の検査もしたが、病院には設備が無く、別の外科の病院に連れて行かれ、おまけにその検査は、今まで感じたこともないほど痛くて、人が見てなかったら泣いていたところだった。幸い卵管は左右共通っていたが、少し細いとのこと。でも、ひと安心した。この頃はまだ、そんなに治療に気合いが入ってなく、まあその内できるさ、と2年位過ぎてしまった。

その後、別の内科の先生の所に通い始め、また、恐怖の卵管造影検査をし(前回よりは痛くなかった)、排卵の前には頚管粘液検査を行い、その結晶も良いということで、問題はなかった。でもここでも、それ以上のことは進まず、行ったり行かなかったりで、月日だけが過ぎて行くが一向に妊娠しない。この間、後で結婚した友人達は何の苦労もなく、次々と子供を産み、こちらは「おめでとう」と言うばかり。近所の人(特におばさん達)は「子供はまだ?」のオンパレードで、顔ではにっこりしながら心では「ほおっておいて欲しい。」と思っていた。けれど、その人達も3〜4年経つと聞くのが悪いと気遣ってか、その話にはあまり触れなくなった。

ある日、内科の先生に「一度ご主人の精子を見てみましょう。」と言われ、プラスチックの容器を渡された。「これに精子を採って1時間以内に持って来て。いつでもいいよ。」いつでもいいよと言われても…、尿を採るのと訳が違うと思いつつ、主人に言うと「いいよ」と以外とあっさりと言ってくれた。長い不妊治療の間で、主人が協力的だったのは良かったと思う。夫婦の問題だから協力して当たり前と言われればそうだが、話に聞くと夫のプライドが高かったり、「僕は大丈夫だ。」と言って、検査を嫌がるご主人もいるそうなので、内はまだ良い方である。

主人はいいよと言ったものの、普通の内科の受付に「精子です」と渡すのに、すごく私自身抵抗があり、つい延び延びになってしまい、とうとう持って行かず、病院へも徐々に足が遠のいてしまった。気持ちだけがあせって、検査が進まず、この頃が一番イライラしていたように思う。一体、何のために子供が欲しいのか、そんなに必要なのか。夫婦だけの生活も考えようによっては良いかも知れないなどと、思いを巡らす日々を送った。でもどうせ諦めるのなら、やれることだけやって、後で後悔しないようにしようと思い、本格的に治療に取り組もうと、以前、夕方のニュースで紹介されていた不妊外来のある総合病院に通うことに決めた。この病院はストレッチなどの運動で不妊を克服したり、体外授精にも力を入れているという。ここでは中途半端にならず、根気よく通院しようと決めたのが、今から3年前である。

不妊外来というだけあって、不妊の受付曜日は決まっているし、同じような悩みを抱えている人が多くいる。私だけではないのだという安心感というか、連帯感が妙に嬉しくなったりした。ここでは生理日から2週間前後に、超音波で卵の塾し具合を診てもらったり、エルチェックという自分で尿を採るだけで、前もって排卵の予測ができる検査や、漢方薬、HCGの注射、軽い排卵誘発剤などを用いて、今まで以上に治療が前向きに進んでいると思った。主人の精液検査も、今回は全然抵抗なく調べてもらったが、ここで精液の中に白血球が見られ、これが授精の妨げになる濃精液症であると言われた。今まで4年間、私しか検査をしなったのが、今回こういう結果で現れ、主人も漢方を投与されるはめになった。もっと早く分かっていればとおもいつつ、これだけが不妊の原因とも思われず、この状態がしばらく続いた。

やはり妊娠の兆しはなく、10カ月たった頃、人口授精をする気になった。期待とは裏腹に、5〜6回毎月した人工授精でも妊娠せず、やっぱりだめか、いやその内きっと…。期待と失望の繰り返しの日々を、またしばらく送った。そして、この病院に通院し始めて2年を過ぎようとする頃、先生に体外授精を勧められた。まさか自分達夫婦が体外授精をするなど、結婚当初は夢にも思わず、人工授精を何度やっても失敗することで、最後の最後の手段として、あまり考えないようにしていて、縁のない特別なものと思っていたのに…。主人は快く承知してくれ、試験管で授精したとしても自分達の子供なのだからと言ってくれた。

よし、頑張るぞと体外授精の予定を組み、卵を多く作る注射に毎日通うのも結構楽しい。同じ時期に体外授精する人も何人かいて、話している内にそれぞれに悩みがあり、同志という気持ちで励まし合ったりしていた。遠くから通院している人や長い間治療している人、私なんかまだまだ「屁の河童」である。そんな人達との会話も私にとって、救いになったし励ましにもなった。採卵当日は始めてのことなのでさずがに緊張したが、麻酔をするし思ったより簡単なものだと思った。翌々日、受精卵を子宮に移植するはずだったが、ショックなことに試験管で授精することができず茫然として、さすがに主人に伝える時は涙が出そうになった。体外授精ですら妊娠できないなんて、そうすれば…。

先生が次回は顕微授精を勤めてくれた。まだ望みはあるのだろうか? 今ここで諦めたら、この6年間がバカバカしい。私も楽天的な方なので、すぐに立ち直り、約半年後に顕微授精の予約をした。さすがに費用は年に何回もできるほど安いものではなく、家計は苦しいが私達の子供の命はお金に代えられるものではない。

へんなもので、再び注射に通う時も、また楽しくなり、期待に胸が膨らむ。この時は無事授精してくれて、胚移植することができたが、胚の質があまり良くないとのことで、移植後は、またダメかという気持ちの方が強く、その通り妊娠反応はなかった。私ばかりがなぜ痛い思いをするのか、失敗する度にくじけそうになる。費用は何とかできても、自分の年令はどうしようもない。何歳になれば諦め、また無理だと言われるのだろうか。あと何年頑張ろうか、などと思っていたけど、前向きにと自分に言い聞かせ、5カ月後に3度目の予約をした。

「2度あることは3度ある」か「3度目の正直」か。またワクワクしながら注射に通う。今度は授精卵の出来がすごく良く、先生も「ピカピカや」と言ってくれた。でもあまり期待すると後が辛いので、次回はいつにしようかなどと考えながら2週間を過ごした。そして、いつものように生理予定日の5〜6日前位から、下腹部が重くなり「ああ、また生理来るなあ。」今回もダメだったかと思いながら、一応妊娠判定のため病院へ。朝一番に採った尿を渡し、先生に呼ばれて信じられない一言。「妊娠反応が出てますね。」「えっ!?」。私は、疑い深い口調で「本当ですか? 薬や何かのせいで反応出たのでは?」と失礼なことを言ってしまった。先生は笑いながら「信じて下さいよぉ。」と言ってくれた。

結婚してから8年。どんなにこの言葉を待っていたか。ボーッとして待合室に行って、同じ時期に体外授精をして仲良くなった人達に告げると、自分達はダメだったのに「本当の良かったね。」と喜んでくれた。この時は、妊娠したことよりも、この人達のおめでとうの言葉が何よりも嬉しく、ありがたかった。主人の喜びようは、ことの他で、普段は何も考えてない、何とかなるさの私の上を行く楽天家だが、やはり内心は悩んでいたのか、すごく喜んでいた。その後、有頂天になる間もなく、出血してしまい、切迫流産で1カ月と少し入院する羽目になったが、今ようやく落ち着いて安定期に入り、胎動も感じるようになり、やっとジワジワと我が子を授かった喜びを噛みしめている。

長かった不妊時代。でも今となっては、この時期がとても貴重なものに思える。勿論このことで夫婦喧嘩もしたし、涙で枕を濡らしたこともあったし、あちこちの神社仏閣にもお参りした。でも、それだけに夫婦の絆も強くなり、いろんな人と出会い、少々不妊の知識も身に付いたつもりだ。

そして、先生は勿論、病院の看護婦さん、スタッフの方々にも大変感謝している。自分達だけではここまで頑張れなかったし、医学の力と皆さんの前向きな姿勢が私達の励みになったと思う。そして、今不妊に悩んでいる方も、決して諦めないで、明るく取り組んで欲しい。奇跡は思わずやって来るものだから。


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