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(「Keikoさん」からのお手紙)


私たち夫婦は平成元年10月に高校時代から5年間つきあった末に結婚をしました。私も主人も同じ21歳の時でした。ですから今年で結婚7年になります。結婚当初は若かったこともあり別に避妊もしなければ子作り計画も別段していませんでした。ところが丸3年ほど経っても妊娠の兆候が全くないことをきっかけにそれからというもの神経質なまでに「不妊」なのではないかと気になりはじめたのです。どうしようか迷ったあげくに思いきって病院へ。

検査の結果、私の方は多嚢胞性卵巣によってたまにしか排卵しないこと、そして主人のほうは重度の精子減少症ということが判明しました。(その時の主人の精子数は約500万/70%でした)私の方の原因は薬によって何とか克服できそうだということに比べ、主人の方はその時の医師からは「栗原さん、この精子数ではまず自然妊娠は不可能です。そして体外受精でもあまり確率は上がりません。残されるのは顕微受精という方法ですがまだまだこれをやっている病院は少ないのですよ」と言われました。

実際、その頃顕微受精をやってくれる病院は東京でも数えるほどしかありませんでした。そこでその病院でともかく一度体外受精にトライしてみようということになったのです。それが実現したのは約2年半前のことでした。その体外受精を受けるために毎週金曜日になると主人はその病院へ出向き、精子を貯蓄(凍結精子)するため一生懸命通ってくれました。

そしていよいよ体外受精の日。私の卵巣からは飲み薬で排卵誘発をしたため思ったほど採卵ができず、たった2個の卵子しか取れませんでした。一方主人の方は回を重ねるごとに精子数が少なくなっていましたが貯蓄していた分がありましたので何とかそれで間に合うとの医師の話でした。ところが、2個取れた卵子のうち1つは末成熟卵でしたので受精卵は1つしかできず、またどの位分割したなどの話もされぬまま移植をされました。

結果は思いがけず妊娠反応が出たもののその7日後に出血し、ごく初期の流産という形で終わりました。この体外受精を受けるためにすでに1年程の歳月のほとんどを通院という生活になっていたため、流産した時点で主人とも話し合い少し治療期間を開けて休もうということになり約1年ちょっとはどこの病院へも行きませんでした。またこの体外受精を受けた病院は私がどうしても不信に思える点が多々あったため治療を再開するにしても他の病院を探そうと思っていました。

そして今年に入ってからすぐの頃、知人の勧めで神奈川の東戸塚にある不妊治療専門クリニックへ転院。初めて話を聞きにいきますと「すぐに体外受精をしてあげましょう」との返事。前の病院がかなり手術までに時間を要したのと比べ、何と手際が良いのだろうと嬉しくなりました。先生は「ともかくご主人の精子数があまり落ちないうちにいい状態で、できれば体外受精でやりたい。もしどうしても状況が悪ければ顕微受精に切り替えます」とのことでした。そして次の周期を待って筋肉注射を始めます。

注射6日目に卵胞の育ち具合をモニターでのぞいてみると片方の卵巣に10個ずつくらいの穴ぼこが見えます。先生も「非常に沢山育っています。もしかしたら20個以上になるかもしれない」とおっしゃって、前はたった2個しか取れないで非常にショックだったので、ともかく良い状態の卵が1つでも多く取れますようにと願うばかりでした。

そして採卵の日。先生のおっしゃった通り、実に23個もの卵を取り出すことができました。主人のほうは20万という数でしたが運動率が比較的良いため卵子の半分ずつを体外受精、顕微受精に分けて受精させてみるといわれました。あまりに多くの卵が取れたせいでかなり後までお腹が引きつるように痛かったのですが沢山取れた喜びで、それほど苦にはなりませんでした。

第一、一番怖かった麻酔...。前の病院では手術後すぐに自分の足で歩かされ、目がグルグルまわって吐き気と戦って「もうこんな思いは二度とやだ!!」という位苦痛でしたが今度の病院では手術後も看護婦さんがベッドまで運んでくれて確かに目がまわる感じはありましたが栄養剤の点滴をしてくれていたせいか回復も早く吐き気に教われることもなかったので病院の麻酔ってこんなに違うものなのかなと感激でした。蛇足ですがこの病院では麻酔が切れて帰る前に主人と私の二人分のクッキーとコーヒーのセットを出してくれるのです。ささいなことですが、これは本当に嬉しかったです。

採卵から2日後の移植の日。先生に話を聞くと「グレード1の卵をいいもの順に4つ選んでおきました。でもうちでの移植数は平均3.5個です。どうします?3つ戻しますか?」しかし私は少しでも妊娠率を上げたいと考えて、「4つ戻して頂けませんか?」とお願いしました。結局、その後の移植で受精卵は4つ私の子宮に戻されました。

判定までの2週間、体温が上がらなかったり(高温期にならないのです)、何となく生理の時のような鈍い痛みがあったこともあって90%は妊娠をあきらめていましたが、判定の日に前もって渡されていた容器に朝一番の尿を採取して病院へ行きました。とにもかくにも体温が上がらないことには妊娠はありえないと思っていたのできっとまただめなのだろうと思い込んでいたところ、名前を呼ばれて診察室に入ると先生がニコニコしながら「栗原さん、おめでとうございます。妊娠ですよ」とおっしゃいました。私はそれがどうしても信じられず立ったまま固まってしまいました。本当にびっくりしてしまったのです!!

そんな私に先生が「でもまだまだ流産率も高いのです。後は卵の生命力にかけるだけですよ。僕がしてあげられるのは少しでも着床環境をよくするために薬をあなたに飲んでもらうことです」と言われ、それからというもの寸秒の狂いもないほど一生懸命、薬を飲み続けました。

そして、それから7日後にはモニターでまだまだちっちゃい黒い袋が2つ見えました。おやっと思っていると先生も「あれ?これはどうやら双子だな...二つとも育つかどうかはまだ何ともいえないけどともかくこれは双子です」ということ。

その時の私の気持ちは「双子かあ〜大変そうだけど折角授かったのだから頑張らなければ!!」と強く感じていました。その後何回かの検診で心臓の動きも確認でき、多少の出血がありながらも何とか安心した矢先のことでした。ここからが本当の試練だったような気がします。

私の家は東京の狛江のため、神奈川の病院では出産できないので先生から「近くに病院を探して下さいね。見つかったら紹介状を書くからね。それと双子だから小児科もあるような大きな病院がいいんじゃないかな」とアドバイスを受け、早速近くの総合病院へ足を運びました。そちらの先生はびっくりしたことにこの神奈川の先生をご存じだったようですぐに快く私のことを引き受けてくれました。

ところがです、その後一応内診をしましょうということで診察台に上がって超音波モニターを見ていると先生が「あれ?栗原さん、これ双子じゃなくて三つ子じゃないかな?どうしても3つの心拍が見えるんだけど」と言われ不自由な態勢で一生懸命モニターを覗くと私の目にも胎児が3人いるように見えます。その後他の先生も呼んで確認した後「栗原さん、これは多分三つ子でしょう。

それも着床したのは2つの卵だったんだけどそのうちの一つが一卵性の双子なんですね。非常に珍しいケースです」と話されました。私は正直言って双子でも相当の覚悟をしていましたが三つ子とはっきり言われた時には体から力が抜けていくような気がしました。妊娠の喜びよりもむしろ出産への怖さばかりが頭を占領していきました。

「未熟児ばかりになってしまったらどうしよう」「今まで不妊治療のためにかなりのお金を費やして、どうやって食べていこう」そんなことばかりが頭をグルグルとしていました。いいえ、それは結局私の言い訳です。自分でも分かっていました。ただ単に「怖い」のです。いっぺんに3人を育てることへの恐怖感...それを自分の中で言い訳していることはどこかで分かっていました。

その夜、家族で話をしました。私は涙を止めることができず、家族に「とても3人を育てる自信がない。自分で不妊治療をしておいて本当に矛盾しているけど中絶するしかないように思う」と正直な気持ちを打ち明けました。何かの本で減数という手術があることは知っていましたが、やってくれない医師が多いと聞いたので3か0かを選択せよというならばすべてあきらめるしかないと強く思っていました。それ程情けないことにおじけづいてしまったのです。

しかし、家族も本当に私のことを心配してくれて母や父も「3人を生むのは無謀かも知れないね。あんたが弱虫ってことじゃないんだよ。それは誰でもきっと悩む問題なのだから...」と言ってくれました。そして主人も「おまえの体のことを考えた時にやっぱり三つ子は危険すぎる」との意見でした。別段、私は体力に自信がないわけではないのですが、幼い頃からかなり大きめの「偏桃線肥大」を持っていましてしょっちゅう40度近くの熱を出したり、そののどが悪いせいで耳も悪く耳なりやめまいに悩まされることはありました。そんな状態から家族や主人は私のことを心配してくれたのだろうと思います。私の気持ちはどう考えてみてもやはり「三つ子は生めない」ということしか浮かびませんでした。

翌日、神奈川の病院に相談に行きました。先生は「完全に僕のミスです。三つ子だということが分からなかった...。こういう治療をしていると多胎という問題にはいつも直面しています。確かに三つ子以上になると母体へのリスクもかなり大きいし、何しろ経済的な問題もあります。『減数手術』という言葉を知っていますか?全てをだめにする前にそういう選択もあります。まだ月数も早いので母体への影響はほとんどありません。しかしその手術を受けたことによって残したほうの胎児も流産する可能性があります」それでも私はその手術を受けることしか頭に浮かびませんでした。

それから2日後に手術を受けることにしました。生まれて初めてというほど罪悪感を覚えていました。決めたこととは言いながらいったい自分は何をしているのか?こんなことをするなら不妊治療などしなければ良かったじゃないかと本当に自分自身を情けなく、また恥じていました。せっかく芽生え始めた生命を自分の勝手で...などと考えるといてもたってもいられず、自分の感情を自分でコントロールすることがどうにもできませんでした。

手術前に着床卵の位置の確認で、私たち夫婦はできるならば一卵性の双子を残せればと思っていましたが子宮の下の方に位置していたため、それが不可能と分かり、結局は一人しか残せないことになりました。最後に主人と二人で考える時間を下さいましたがやはり私たちは最初の決断通り手術を受けることに同意しました。

麻酔はしませんでしたので非常に辛い手術となりましたがそれがかえって私にはありがたいような気がしていました。もし麻酔をしてしまえば痛みも何もありません。眠っている間に何もかもが済んでしまいます。それでは何だか本当に申し訳ないような気がしていました。少しでも痛みを感じることによってかえってその方が気持ちが楽になるようなそんな感じがしていました。そうでもしないと自分自身が...うまくは言えませんが痛みなくしては済ませたくなかったのです。手術後、つきそってくれた主人が車中で「生まれてくる赤ん坊、一生懸命大事に育てような」ぶっきらぼうな言葉ではありましたがその言葉で少しだけ救われた気がしました。

現在やっと7ヵ月。25週になりました。これまでに何度か出血があり入院したこともありましたがずいぶんと早い時期からお腹の中で暴れまわって自分の存在を主張しているようです。生まれてみるまではどうなるか分かりませんが、今は、やっと今までの全てを受け入れられるようになりました。

森本先生、私つくづく思うのです。どうしても不妊治療をしていると「妊娠する」ということだけに囚われて他のことは全く見えなくなってしまうんですね。これはきっと私だけではないと思うのです。多くの不妊に悩むカップルはその状態から何とか抜け出そうと妊娠をゴールのように考えがちですね。だから私もその時は「多胎でもいいんだ、4つ戻せば妊娠率だって上がるのだから」なんて思い込んでしまったわけです。

4つ戻せば極端な話四つ子にだってなる可能性があるのにそれを選んでしまった。きっとその時に誰かから「そんなに戻して沢山子供ができちゃったらどうするの?」と聞かれたところで「大丈夫。沢山いたっていいじゃない」なんて答えていたに違いありません。しかし、実際妊娠してみると夢が現実になり妊娠前に憧れていた妊娠生活とは全く違うものを見つめることになります。

例えば私は他の不妊治療仲間の人などと一緒に妊娠前「妊娠したらみんなに知らせてまわりたい」とか、ああしたい、こうしたいなどと理想を話していましたが実際妊娠してみると「あまり喜ぶのはよそう。流産したらいやだから」とか「無事に生まれてくれるだろうか」とか「生まれてきたらちゃんと育てられるだろうか」というようにものすごく考え方が現実的になりますよね。つくづく自分は考えなしで甘かったと思い知らされるのです。

勿論子供ができたことは本当に嬉しいのです。ただその嬉しさというのが不妊治療中に考えていた嬉しさとは一味も二味も違うものだったということなんです。結局まわりに妊娠を話せたのも5ヵ月を過ぎてからでした。それまでは手術の後遺症などもあり人に話してしまって流産でもしたらと考え5ヵ月を過ぎるまでは家族以外の誰にも話しませんでした。

もちろんこの意見はあくまで私の意見ですから他の女性は違うかもしれません。ただ、どうしても不妊治療中には妊娠をゴールと考えがちなのは皆さん共通だと思うんです。でもよく考えてみればスタートであって長い道のりが始まるんですね。今回の経験を通して本当に色々なことを学んだような気がします。

減数手術のことはお話ししようかどうしようか本当に悩みました。森本先生に対してそういうことを話すのが失礼なような気もしています。でも、このことで悩んでいる人は沢山いると思うのです。私の体験談では参考にならないかもしれないですがまだまだ減数手術について情報も少なく(認められてはいないので仕方のないことですが)私自身もひどく不安だったのです。そこで思いきって公表することにしました。

何だか感情が先に立ってしまい、うまくまとめられませんでしたが森本先生に全てお話しできて何だかすっきりしました。誰にも話せなかったんです。100人いれば99人は多分私のことを軽蔑するでしょう。だから誰にも話せませんでした。

一生懸命、うまくはないですがまとめたつもりです。森本先生が不妊治療に力を入れホームページを作られたことを本当に尊敬し、また感謝しています。このページを読んで励まされる人が沢山いると思うからです。今まで不妊治療は閉ざされた一部の人のためのものだったような気がしますがこれからはもっとオープンになっていくべきだと強く思うのです。これからのページにも期待しています!!

不妊治療をしている方々のために少しでもお約に立てればこんな嬉しいことはありません。それでは、失礼致します。

敬具


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